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苦しみ続ける動物達のために❤さっち~のブログ❤№2

動物達の苦しみから目を背けさせようとアメブロを強制退会させられFC2に引っ越してから5年。そのブログが容量いっぱいとなりましたので、こちらのブログを新しく作りました。宜しくお願い致します。旧ブログ→http://amour918.blog.fc2.com/

捕鯨反対のVEGANから観た「くじらびと」 さっち~の感想。太地町の捕鯨とは全くの別もの。同列に語るなかれ。 #くじらびと 

今日は超今更やけど、大阪でまだ上映続いてたという事もあり、去年公開された「くじらびと」を観に行ってきた。
こんな映画があると情報流れた当時は、どうせ太地町とか日本の捕鯨擁護に繋げるいつもの捕鯨推進プロパガンダ映画やろうっと、最初から存在自体をガン無視してたのだが、
(実際SNSでは捕鯨擁護派が太地町と絡めて宣伝してて鬱陶しかったので)
こないだ別の件で調べものしてたから、たまたま「くじらびと」の情報が出てきたので内容をチェック。
中身についてはニュースサイトの説明が解りやすいのでそれ貼っておくが、
映画の内容は私が抱いてた当初の嫌な印象はむしろなく、
命がけでクジラを殺して生きている人々の存在が、
こないだ見たある光景と重なる部分があり興味が湧いたのと、
また舞台となってるラマレラ村は、
"くじらと生きる町"と謳う太地町とは全く別物である事を示す証拠にもなるのではないかと無性に観たくなった件。
しかもほとんどの場所ではとっくに上映が終わっているにも関わず、
大阪シアターセブンは、まだ延長していたという。
もうこれは、必然的に観る流れになってたとしか思えなかった、笑
しかも、また上映場所は何かと思い出深いナナゲイ(シアターセブン)、笑
捕鯨反対は当たり前のVEGANで、この映画を観た人はもしかして私は初めてではないだろうか?
アニマルライツ界隈で当時この映画一切話題にも触れられてなかったし、みんなガン無視系だったのではと、笑
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前回は「エコの嘘」
その前は「おクジラさま」で
鋭い質問を佐々木監督とジェイアラバスターにぶつけた懐かしい思い出、笑
その前は「ある精肉店の話」
毎度色々濃いわほんと、笑
そして今回の「くじらびと」は、こんな内容の映画です。
(100秒予告)公式ホームページhttps://lastwhaler.com/


情報によると、ラマレラ村にも反捕鯨団体が活動に訪れていたというのが個人的に興味深い点もあった。
しかし、刺し網を与えるとは、、、クジラを助けたい気持ちは同じ?かもだが、
そこに持っていくのはVEGANの私には到底理解出来ないと思った件。
刺し網漁なんかが活発になったら命の犠牲が増えることは容易に理解できる。
映画ではその辺りは取り上げられてはなかったが、そんな情報も含めて「くじらびと」の内容を知るために、この記事を紹介しておきたい。

~一部ニュースより転載~
「13年後、再びアジアの秘境へ。400年続く伝統のクジラ漁が消えてしまうかもしれない危機感」
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizukamikenji/20210918-00258739
2021/9/18(土) 7:03 水上賢治/映画ライター

現在公開中のドキュメンタリー映画「くじらびと」は、そのタイトルから察しがつくように、クジラとともに生きる人々の記録だ。
カメラが分け入ったのは、ガスも水道もないインドネシアの辺境にあるラマレラ村。
約1500人の村人が暮らすこの地は、火山岩に覆われ農作物はほとんど育たない。
ゆえに太古からクジラ漁が村の生活を支え、年間10頭も獲れれば村人全員が生きていけるといわれている。
鯨漁といっても、大型船で魚群探知機でといった近代化された漁法ではない。
伝統漁法といっていい、手造りの舟にのって、ラマファと呼ばれる銛(もり)打ちが銛(もり)1本でマッコウクジラに挑む。
なので、常に命がけ。実際、クジラに大けがを負わされた者もいれば、海に引きずり込まれて命を落とした者もいる。
ゆえにラマファは村の英雄で、子どもたちの憧れだ。
作品は、この危険と隣り合わせの400年に及び続く伝統捕鯨を続ける「くじらびと」たちの日常と壮絶なクジラとの闘いを記録している。
はじめてこの島を訪れたときから数えると30年の月日をかけて本作を完成させた写真家で「世界でいちばんうつくしい村」で映画監督デビューを果たした石川梵監督に訊くインタビューの第二回へ。(全四回)

13年後の再訪、揺れ動いていた鯨漁
 前回のインタビューでは、映画の前段となった写真集までの経緯を語ってもらったが、そこから13年ほど、石川監督はラマレラ村からは離れることになる。
「しばらく離れたんですけど、この貴重な体験を今度は本にしたいと思って、2010年に再訪したんです。
すると、ちょっと状況が変わりつつあった。
鯨漁をやめさせるように、反捕鯨団体とかが活動をし始めていたりした。
たとえば魚を獲れるよう刺し網を与えたりと。
それで、村全体がすごく動揺していた。
ただ、刺し網で漁をして魚を獲れる人はそれで生活が成り立つので、その人たちにとってはいい。
でも、村全体としてはけっこう困るんです。というのも、先で触れたようにこの村は、クジラを獲ることで村の人々全員が困らないシステムが確立されている。
鯨漁は誰かひとりが儲かるとかではなくて、村全体に恩恵がいき届くシステムになっている。
映画の中でも少し触れていますけど、たとえばシングルマザーとかそういう貧しい人にまでいき届いて、彼らが最低限の生活に困らない状態にしているところがある。
その構造が崩れてしまうと、当然立ちいかなくなってしまう人が出てしまうわけです。
そういうことがあって、村がすごく揺れ動いていた。

そのとき、ラマファから言われたんですよ。
『梵が昔、撮った写真とか映像を若い者に見せてくれ』と。
『昔の、村人がひとつになってみんなのために鯨を獲っていたあの頃の姿を見せてくれと』と。

おそらく、伝統の鯨漁が消えてしまうかもしれないという危機感が彼らの中にあったのでしょう。それは僕にとってとても衝撃的な出来事でした。というのも、これまでラマレラのことを日本に紹介するために作品を撮ってきた。ところが、ジェネレーションを超えて、取材先のラマレラで自分の作品がなにか貢献できることを知ったから。
それで、映画の道に進み始めたとき、この伝統の鯨漁を後世に遺して伝えたいと、という気持ちが芽生えました。
それは長年通っている僕にしかできない仕事です。
それは、村の人々への恩返しになるような気もしました。
そこがこの映画の出発点だった気がします」

鯨漁を空から撮影してみたかった
もうひとつ、きっかけになったのはドローンの撮影だったという。
「写真で撮影していたときから、ずっと思っていたんです。『この漁の様子を、空のアングルから撮れたらすごいだろうな』と。
当時も考えていたんですよ、空撮は。飛行機をチャーターしようか考えていた。
 『ライフ』とかに写真がまだ残っていると思うんだけど、僕は空撮もけっこうやっていて、ヒマラヤとか撮っているんですよ。
でも、実際問題として、秘境ですから、そもそもどこから飛行機をチャーターするんだと。さらにどこか近くに飛行場があるわけでもない。あるテレビ局がパラグライダーで撮影を試みたことがあったみたいなんですけど、撮れる時間が限られる。
それで諦めたんですけど、それから月日が流れ、再訪したころには、ドローンによって鯨漁をいろいろな角度から撮影することもできる環境が整った。それで、村にもう一度行って改めて鯨漁を取材しようと思いました」

そういう間にも、村は刻々と変化しつつあったという。
「変わったといっても、道路ができたとか、そういうレベル。
沖縄ぐらいの大きさの島なんですけど、以前は道路なかったんですよ。
だから、ラマレラ村にいくには以前は、船で直接行くしかなかった。
それがラマレラ村から反対側に大きな港があって、そこから道路が通って、港から車で来れるようになった。
あと、僕が通い始めたときは夜の間、だいたい18:00~24:00ぐらいまで電気がつくところがあった。
つかないところもいっぱいあるんですけど。
それこそクジラの脂で火を灯して、明りにしていた。
でも、2年前ぐらいに電気が24時間つくようになったと言っていました」

物には恵まれてないかもしれないけど、心は豊か
こうした現実を知っていく中でも、映像に残しておきたい気持ちが募っていったという。

「僕からすると、昔の日本の古き良き漁村のような雰囲気があるんですよ。
それは単に風景だけじゃない。村の人々が困っていたらお互い様でそれぞれに助け合う。
傍から見たら、貧しい村に見えるかもしれないけど、住んでいる人たちの心は穏やか。
物には恵まれてないかもしれないんですけど、心は豊かなんですよね。
小さな村だから噂話が絶えなかったりと、小さなコミュニティならではの問題もあるんだけど、そういう悪いところもいいところも含めて、古き良き日本の原風景に重なるようなところがあった。
それから、伝統の鯨漁を、みんな誇りに思っていて大切にしている。
男たちは命がけでクジラと闘い、それを女たちが支えて、クジラ漁の男になることを夢見る子どもたちがいる。
いや、実際に生活している村の人々は大変だと思います。
特に女性は。鯨漁のときは、男たちは朝から晩まで船で出ていきますけど、それ以外はほとんど何もしていない(苦笑)。
クジラが獲れたって、実際にクジラの肉を山の民と物々交換に行くのは女性たち。
重いクジラの肉を頭にのせて、何十キロと歩いて、物々交換の場所へいって交換して、農作物とかえて持って帰ってくるわけです。重労働ですよ。
普段は機織りしたり、食事を作ったりとなにかと忙しい。ほんとうに村の女性には頭が下がる。
しかも、男たちの仕事である漁は、クジラがいつ獲れるかわからない。
たぶん東京に住んでいたらこんな暮らし不安で仕方ないですよね。
でも、こういうスタイルでこの村は成り立っている。
僕の中では、まだこんな世界が実在するのかと驚きで。
人間も暮らしも汚されていない、余計なものがない、なんだかおとぎ話の世界に紛れ込んだような気分になったんです。
それで、この村を映像で残したいと思ったんですよね。
変な話、ラマレラ村で取材が終わって、隣の村に行くと、もう別世界なんですよ。
バスが普通に走っていて、車が往来している。物には恵まれて便利なモノがあるんですけど、なんか人間関係はギスギスしている。傍から見るとどちらの村も田舎に違いないんだけど、ラマレラ村の雰囲気は全然違う。
世界各地を回った僕の経験上、1990年代ってわりとラマレラ村のようなところがけっこうあったんですよ。
ところがね、2010年代とか入ってくると、ほぼ壊滅している。ほぼお目にかかったことがない。
どこにいってもみんなスマホをもっているし、昔ながらの伝統漁をやっているところも稀。
物々交換なんてやっているところないですよ。
こうした村の暮らしを残したい思いもあって、映像作品への気持ちが高まっていきましたね」
(※第三回に続く)
~転載終了~

シアターセブンの上映スケジュール観たら、今日が最後?と思える感じで滑り込みセーフやったのかな?
月曜日の16時20分スタート、
こんな時間に見にくる人はよほど捕鯨問題に関心高い人か、暇人かどちらかやろう。
会場ついたら、オジサンオバサン、
ちょっと若めの男子女子(もちろん私はこっちのグループで)と、「くじらびと」目当ての人達ばっかりだった。
結果小さなシアター内は10人ほどの観客。ほぼ貸し切り状態になるかなと思ってただけに意外やった。

そして、チケットを買う会場のホールで真っ先に目に飛び込んできた光景に、
「おぉっ!!」となったのだが、
なんと水俣病を取り上げた映画の宣伝がデカデカとされていたのだ。
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「くじらびと」と繋げてわざとアピールしてるのか?みたいな、笑
思わずそんな印象持ってしまった件。
だって鯨肉と言えば、水銀問題は避けて通れない事ですからね。
ほんと単なる偶然にしては出来過ぎてる光景だった。
この水俣病の映画も、くじらびと終わって上映してたらついでに見て帰りたかったけど、そんなタイミング良くいくはずもなく断念。
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映画「水俣曼荼羅」公式ホームページ
http://docudocu.jp/minamata/
動物達を犠牲にする事が当たり前になってしまった人間。
そんな意識の中で動物達の苦しみに目を向けられない人が多いのは悲しい事だが当然だと思う。。。
しかし、ほとんどの人が人間の苦しみは理解出来るのではないのか?
そう思うからこそ、クジラやイルカ達の犠牲云々以前に、
何故水銀問題のある鯨肉を当たり前のように流通させているのか?
学校給食にまで提供され子供達が犠牲になっているというのに、
何故鯨肉反対運動が盛り上がらない日本に成り果てているのか?そこが本当に疑問である。


前置きが長くなったが会場内へ。
しかし前置きが更に長くなる出来事発生^^;
映画の予告がスクリーンに映し出されて1発目に目に飛び込んできた人物にこれまた「え~っっっ!!!」ってなった私。
そこに映ってたのは、プロダイバーの武本 匡弘さんだったから!!
そっか、なるほど、くじらびとのポスターの隣に貼ってあった「ゼロ・ウェイストPLUS~持続可能な暮らし~」に出演されてたのねと!!
武本さんのことは、私は去年知ったばっかりで、環境保護を訴えて海をメインとした様々な活動をされているのだが、
以前「水族館でのイルカショーをやめるべきだ!」と訴えておられてるのを知ってから、個人的に非常に関心を寄せてる人だった。
だからまさかいきなり目の前のスクリーンでお会いするなんてビックリで、、、^^;


そして、さっきから水銀問題からのこの流れ何!!!みたいな。
もう宇宙が完全にこっちの味方してるようにしか思えなかった件、笑
情報チェックしたら京都での上映はすでに終わってしまってたので、またココにこれ観に来たいな~って思いました。
「ゼロ・ウェイストPLUS~持続可能な暮らし~」
https://earthianalliance.com/zerowaste/
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そしてようやく「くじらびと」の上映開始。
最初に映し出されるシーンで印象深かったこと。
幾度も鯨を殺害してはその姿を目に焼きつけてきたラマファは言う。
「魚は死んでも目を閉じないが、クジラは死んだら目を閉じるのだ。」と。
なんと、心に突き刺さる言葉か、、、。
魚も苦痛を感じる能力があることは証明されているが
鯨は私たちと同じ哺乳類であることを改めて感じさせられる。
そんな命を殺めてしまわねばならないこと。。。
そんな世の中って一体、、、?

ラマレラ村で鯨はそう簡単に捕れる訳ではない。
そのため、それとは別にマンタやジンベイザメを犠牲にする事もある。
マンタ漁とか初めて見たので衝撃だった、、、。
この映像が記録された時はたまたま大漁だったが1ヶ月捕れないこともあるそうだ。
そしてマンタ漁では鯨漁(個人的には哺乳類である鯨を漁で片付けないでほしいと思うが)と同じくらい命の危険を伴うことを知った。
映画ではマンタ漁で家族を失った村の人々が悲しみに暮れる姿も追っている。
しかし、例え家族を失っても、ここまでしないと我々は生きていけないのだと訴える村人たち。
それが真実なのであれば、それしか本当に生きていく道がないのであれば、
VEGANで捕鯨反対の私ではあるが、ラマファの存在を否定はしない。
そう思う理由は、この記事の冒頭で述べたある光景と重なることに起因する。
それがこれだ。

2022年1月28日「シャチが地球最大のクジラを襲撃し食べる、初の報告」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b0a0fe18ac2c60c2ee45e5755991ba17bdf33fc
~一部転載~

 その狩りは追跡から始まった。12頭のシャチが、獲物が疲れ果てるまで追い回す。獲物の泳ぎが遅くなると、さらに他のシャチたちが狩りに加わった。20頭のシャチの歯が獲物の肉を引き裂き、かぶりつく。数分後、シャチの群れが力を合わせて、獲物を水中に引きずりこんだ。獲物は、それきり浮かび上がらなかった。その獲物とは、なんと地球最大の動物シロナガスクジラだった。
~転載終了~

私がこの映画に惹きつけられた大きなひとつの理由だ。
シャチは生きていくために家族で一丸となってシャチを捕らえる。
これは自然界で生きる者たちにとって、仕方のないことである。。。
そんなシャチ達の姿がラマファと重なったから。。。
シャチに対して捕鯨反対!!!などと言えないのと同じ理由だ。
それは食物連鎖といわれるもの。
傲慢に成り果てた人間は、自分達が食物連鎖の頂点にいると勘違いしているが、
生身の身体ひとつで決して野生動物達と張り合うことなどできないし野生動物達に到底敵うはずがない。
道具を使ったり卑怯な手を使うことでしか太刀打ちできない人間は、決してそんな生きものたちの枠組みに入ってはいない。
しかしそこに近い生活を送ってる人ならば、話は別だと思った。

食うか食われるか、、、
自分の命が危険にさらされるかもしれない、そんな覚悟をして生きている人間は、
私からすれば野生動物達と同じ領域で生きている生き者だと思える。
スーパー等に行けば何でも欲しいものを手にいれる事ができる物質的には豊かな社会で暮らす人間が、
"鯨を殺しているから"という理由で、この人達を叩くのは違うと思う。
VEGANの私ですら、
というか、VEGANだからこそそう思うのかも知れない。

しかしそれで答えは完結しようがない。。。
ラマレラ村の人々の生き様には、現代社会で生きる私なんかには心打たれる事も当然あったが、
全てを肯定はできないのも事実。
鯨の解体シーンを、住民達が携帯で撮影してる光景にもショックを覚えた。
携帯持てるんだみたいな、、、。
今では珍しい貴重なこの村も、世の中の当たり前に流れて侵されていってしまうのだろうか。。。
そしてスクリーンから度々聞こえてくる鶏の鳴き声。
また豚や犬が明らかに飼育されているシーンも。
先に紹介したニュースで鶏は生け贄にされているというのも、疑問でいっぱいだったが、
豚や犬もその後、食料として殺されてしまうのだろうか?
しかしそこまで映画では知ることは出来なかった。
また想像していたよりも、食生活には困ってなさそうな印象も受けた。
それも鯨のお陰と言われたらそれまでだが、、、
大切な家族と鯨を犠牲にしてまで、本当に鯨を捕る必要があるのか?
映画を観てる中で何度もそんな問いが私自身に向けられた。
ラマレラ村の人々が、VEGANの存在を知ったらどう思うのだろうか?とも考えた。
もし、動物の肉を食べていかないと栄養が足りない、生きていけないという思い込みに支配されているとしたら?
そして食べものを棄てまくっている物質的には豊かに成り果ててしまった国と、生きていくための食べものすらない国。
これが同時進行の世の中の在り方は本当におかしいと改めて思う。
映画の中にもあったように、お互いが必要なものを交換しあう、
そんな奉仕の精神が当たり前になれば、、、
鯨を殺さなくとも、家族を犠牲にしなくとも、世界中のみんなが平穏に生きていける道はあるのではないかと思わずにいられない。

映画の中で最も胸を打たれ涙が溢れたシーンは、
銛を刺され血まみれになり弱っていくマッコウクジラの元に、
他のマッコウクジラがやってきた光景だった。
ラマファは言う。
"仲間が苦しんでるのを知って、いつも仲間が助けにやってくる。"と、、、泣
これまで何度もその光景を見て来たラマファの言葉だからこそ真実味がある。
そして助けに来た仲間も銛で突き刺されてしまうのだ、、、。
去年話題になった「クジラと海洋生物たちの社会」を観た時、クジラ達の作るその社会性の凄さ、
家族や仲間達との絆の深さに感激していたが、今日このシーンを見てその想いはより一層強くなった。


また、マッコウクジラを仕留めようとするその光景は凄まじく異様に感じた。
ちっぽけな人間が、あんなにも大きな鯨を殺すために銛を突きまくる光景にはやはり違和感しかなかった。
本当にここまでの事をしなければならない必要があるのだろうか?と。。。
体が大きければ大きいほど、そう簡単に死には至らない、、、
銛を何度も突き刺され、小さな人間に殺される時の苦しみは相当なものであろう、、、。
息絶えるまであまりに長く続く苦痛。。。
太地町で定置網に混獲されたミンククジラが窒息させられ殺されていく光景だけでもこんなにも苦しいのに、、、。
そしてこの動画には、鯨を殺す太地町の漁師が、いかに命を粗末に扱い、生きるために鯨を殺してる訳ではないことが映し出されている。
鯨を殺した船の上で、ゴルフの打ちっぱなしの練習をしている漁師の姿を見てほしい。(16~17分あたり)
このミンククジラがいかに適当に命を奪われたのかが示されているような光景である。。。
太地町で生きていくために命を懸けて鯨を捕っていた祖先も、さぞかし悲しんでいる事であろう。
鯨を殺していることは同じだが、こんな腐りきってる太地町の漁師と、ラマレラ村の漁師が同じなはずがない。
そこは一緒にしないでほしい、してはならない、、、。
「2022年1月21日 太地水産協同組合 ミンククジラ殺害の様子」


確かに太地町も昔は命を懸けてこの村人と同じように命掛けでクジラを捕っていたのだろう。
しかし、今は違う。
近代化しどんどん経済発展していく時の流れの中で、クジラ達の命はあまりにも軽く扱われるようになってしまった。

日本で鯨肉を消費する人々も僅かになった。
スーパーには値下げされたクジラの肉が並ぶ。
なくても困らない人間の遊びのためにイルカ達は次々と囚われの身となり、
その過程で殺されていく命も計り知れない。
またクジラだけではない。
経済発展していく時の流れの中で、
あらゆるシーンで、動物達の命は消耗品のように扱われる世の中になってしまった。

帰り道、煌びやかに見える街の灯りに照らされて、
なんとも言えぬ深いショックに襲われた。
鯨を殺さない道があるなら勿論それがいい。
しかし、それを追い求めるばかりに、私達が生きてるような未来が待ち受けてるなら、
ラマレラ族には今のままでいてほしい。
犠牲は少ない方が勿論いい。。。
ラマレラ村の未来が、太地町のように、こんな現代社会のように成り果ててしまわないことを祈らずにいられない。
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この映画は捕鯨推進のプロパガンダ映画ではなかった。
命の尊さとは何か、人間はどう生きていくべきかを改めて突きつけられ考えさせられる
大切なメッセージを投げかけてくれた。
そして現代社会において、このように暮らしてる人々がいることを記録することは重要だったと思うし石川監督の思いに共感する所もある。
「くじらびと」観れて良かったです。
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最後に、シャチの話題をもうひとつあげておきたい。
海で食物連鎖の頂点にいると言われているシャチの行動。
野生の世界は食うか食われるか、それだけではない事が示される出来事があったことを。
命を生かす、そんな道もあるのです。

1/21(金) 網が絡まったクジラ 天敵のはずのシャチが助ける姿に「この姿を見習わないと」(豪)
https://article.yahoo.co.jp/detail/441d43f72fd5b33685eb9b181962751f09eef7b3?fbclid=IwAR3TyYnDXpEW3b33cBg3R3ojABjx5qO7q3P1vHff03K5B20i4858e5C97tg

オーストラリアの沖合で、クジラの子どもの尾びれに網が絡まっているのをツアーを行っていたスタッフが発見した。そこに現れたのはクジラですら捕食対象とするシャチの群れで、スタッフは「このクジラの子はだめかもしれない」と胸を痛めていた。ところがシャチらはクジラの子の周囲を泳ぎ、まるで尾びれに絡まった網を外そうとするかのような行動を見せたのだ。最終的に網は外れ、シャチはクジラを襲わずに去っていったという。『Northern Beaches Review』などが伝えている。
驚きの光景が撮影されたのは今月10日、西オーストラリア州南部ブレマー・ベイ沖で当時ホエールウォッチングのツアーを行う会社「Whale Watch Western Australia」が船を出してツアーを行っていた。
この船に同乗していたスタッフのゲマ・シャープさん(Gemma Sharp)は、クジラの姿を探していた時に何かを追いかけるシャチを発見した。しばらく観察を続けると、シャチは子どものザトウクジラを追いかけていることが判明した。
通常この時期のザトウクジラは南極付近に生息しており、同エリアで見かけるのは珍しいという。そんなザトウクジラの姿にゲマさんは「クジラシラミが付着しており痩せていたことから、体調の悪いザトウクジラの可能性があることが分かりました。ザトウクジラが尾びれを上げた時に、緑色の網が絡まっているのが見えて胸が痛みましたね」と当時を振り返った。
そして弱っていたこのザトウクジラの周りに、3頭のシャチが集まってきた。この3頭は同エリアに棲みついているシャチで、“フックフィン(Hookfin)”、“ブレード(Blade)”、”メイトリアーク・クイーン(Matriarch Queen)”という名前で親しまれていた。この状況にゲマさんは「ザトウクジラはシャチの捕食対象なので、弱ったザトウクジラにシャチが近づいてきたのを見た時は食べられてしまうと思いました」と心配したという。
最初にこのクジラを見つけたフックフィンは、ザトウクジラの近くで体を回転させたりしていた。その後に到着したブレードはクジラの尾びれの真下で絡まっている網を確認するかのように泳ぎ、尾びれに突進するかのような行動を見せたそうだ。
それからメイトリアークがやって来て同じように尾びれに向かって泳ぎ、海面に白い波しぶきが立ったかと思うと、そこにはザトウクジラの尾びれから外れた緑色のネットが浮かんでいたのだ。
目の前の弱ったエサを襲わずに去ったシャチたちの行動にゲマさんは目を疑ったそうで、「その後、3頭のシャチはザトウクジラに興味を失ったようで、一緒になってザトウクジラから泳ぎ去っていったので驚きました」と明かした。
シャチがいなくなるとザトウクジラはゲマさんが乗る船の周りをぐるっと泳ぎ、ゲマさんが尾びれの状態を確認すると去っていったという。
ゲマさんは今回の件を振り返り、興奮冷めやらぬ様子でこう語っている。
「シャチがザトウクジラから網を外したという行動は、本当に素晴らしいものでした。意図的に助けたのか、あるいはザトウクジラの体調が良くないので狩りの対価として見合わないと考えたのでしょうか? どちらにしてもシャチはこのザトウクジラを今日は食べられないと判断し、マンボウに嫌がらせして賑やかな一日を過ごしていました。」
「まだこの出来事で頭がいっぱいです。シャチの行動は本当に驚きで、今回のツアーはずっと記憶に残るものになりました。」
ちなみに今回の映像を見た人々からは、「本当に知能が高い生き物」「動物が話せたらいいなっていつも思うよね」「動物って信じられないほど思いやりを持って行動するときがあるよ」「私たちも思いやりについて学びたいところだ」「このシャチを見習って、私たちも利己的にならないようにしないとね」など賢いシャチの行動に感心する声が多数寄せられた。
画像は、ホエールウォッチングツアー会社のWhale Watch Western Australia 2022年1月10日付Facebookより
https://www.facebook.com/464323373743379/posts/2134650430043990/
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(追記)
石川監督にコンタクトを取っていたのだが、こちらの記事をご覧いただき以下のような感想をくださいました。

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