- SHARE
- TWEET
- EDIT
- CATEGORY未分類
太地浦で捕鯨に協力したことを後悔したお坊さんのお話「くじら橋を知っていますか?」この尊い想いがどうかずっと語り継がれますよう…捕鯨を終わらせる存在として生き続けますよう… #捕鯨反対 #GoVegan
2020年6月11日
大阪へ行く用事があったので、以前から行ってみたいと思ってた場所へ行ってきた。
そこは東淀川区にある「瑞光寺」
住所:大阪市東淀川区瑞光2丁目2-2


行きたいと思ったきっかけは、去年職場でたまたまこの番組を目撃したことからだった。
(2019年5月17日 NEWSミント放送分)
宝暦4年(1754年)、当寺の潭住知忍禅師が修行中に南紀太地浦(捕鯨で有名)を訪れた時、不漁に泣く村長覚右衛門らの豊漁祈願の依頼をうけた。知忍禅師は殺生が五戒の一つであるところから容易に承知しなかったが、村人の苦しむ姿に胸がいたみ、1度だけ協力することにした。そして祈りが通じたのか、鯨を獲ることができた村人たち。
しかし、海が鯨の血で真っ赤に染まっていく光景を見ていた知忍禅師は、鯨を殺す手助けをしてしまった事を後悔する。
その後、お礼として村人から贈られた黄金30両と鯨骨18本を使って
鯨の冥福と全ての生き物を大切にするという祈りを込めて、くじらの橋を作ったのです。

境内には、橋だけでなく、くじらの骨が沢山残されていて胸が痛む。

そんな知忍禅師の想いが込められた、くじら橋。
しかしその後、古くなる度に太地町の協力で建て替えられているという。


太地町がくじらの骨を運んでこなくなることが、知忍禅師の願い、残したメッセージであろうに。
利権のために捕鯨からしつこく手を引こうとしない今の有り様を知忍禅師はあの世からどのような想いで見つめているだろうか。


人間が奪ってしまったクジラ達の命。その屍に、ひとつづつ手をかけ謝罪した。



ここにもう2度と、クジラの骨が運ばれてこないよう、どうか捕鯨に終止符が打たれてほしい。
この場所、知忍禅師の存在が、そんな現実を引き寄せる力として生き続けてほしい。




東淀川区がこのお話を絵本にして残してくれているというのはとても貴重だと思う。
知忍禅師のこの尊い想いがこの日本に、世界中に永遠に語り継がれていくよう、伝え広めてください。
瑞光寺のくじら橋
~瑞光寺にまつわる昔のお話です~
読み聞かせ用の音声データも掲載しています。
https://www.city.osaka.lg.jp/higashiyodogawa/page/0000489371.html

表紙

むかし 東淀川区(ひがしよどがわく)が 摂津(せっつ)の国とよばれていた 江戸時代のお話です
瑞光寺(ずいこうじ)の 潭住知忍(たんじゅうちにん)という えらいお坊さまが 修行のため 旅をしていました

あるとき くじら漁が盛んな 紀伊(きい)の国の 太地浦(たいじうら)(和歌山県太地町(わかやまけんたいじちょう))を とおりかかりました
そのころ 村ではくじらがとれず 飢えに苦しんでいました

村長の覚右衛門(かくうえもん)と 網本(あみもと)の次右衛門(じうえもん)は えらいお坊さまが訪れたのを知り 涙ながらにお願いしました
「ここ 百数日 くじらが まったく獲れません」
「このままでは みんなが 飢え死にしてしまいます」
「どうぞ 和尚様 豊漁のお祈りを してください」
「お二人のお気持ちは よくわかりました しかし 仏の道には 生き物を殺すことを 禁じる教えがあります 私には 祈りを あげることはできません」
と 断りました

しかし ふたりは 何度も何度も お願いしました
知忍禅師(ちにんぜんじ)は 村の人々の 苦しむすがたを見て ついに決心しました
「わかりました 一度だけやってみましょう」

みさきの先に 小屋をたて そこにこもって お祈りは続きました
雨のふる日も 風のふく日も 休むことなく 祈りつづけました
そうして 十五日たった 朝・・・

風がやみ 波が静まり 雲のすき間から 朝日がさしたとき・・・
水平線が 黒く変わり その黒のかたまりが 津波のように 湾をめざして 進んできます
「くじらだ!!」
「船を出せ!!」
村びとたちは よろこびいさんで 船を出しました

そして くじらを湾の奥に追い込み 浜に上げ つぎつぎと解体していきます
浜は くじらの血で 真っ赤に染まりました
太地浦(たいじうら)は 村人たちの大漁歌(たいりょうか)で わきあがりました。
知忍禅師(ちにんぜんじ)は みさきからぼう然と その有様をみつめていました

「なんということを してしまったのだろう」
村人のためとはいえ 生き物を殺す手助けをしてしまった 自分を責め こっそり 瑞光寺(ずいこうじ)に帰り お堂にこもって お経を あげ続けました

「和尚様に お礼をせねば」
覚右衛門(かくうえもん)たちは 瑞光寺(ずいこうじ)をたずね そして 無理やり 黄金三十両と くじらの骨十八本を 置いて帰りました

知忍禅師(ちにんぜんじ)は くじらのめい福と すべての生き物の命を 大切にするという祈りをこめて 境内の「弘済池(こうさいち)」に くじらの骨を使って くじら橋(雪鯨橋(せつげいきょう))を 造りました
くじら橋は 古くなるたびに 太地町(たいじちょう)の協力で架け替えられ 今でも 瑞光寺(ずいこうじ)に残っています

瑞光寺と雪鯨橋について

大阪へ行く用事があったので、以前から行ってみたいと思ってた場所へ行ってきた。
そこは東淀川区にある「瑞光寺」
住所:大阪市東淀川区瑞光2丁目2-2


行きたいと思ったきっかけは、去年職場でたまたまこの番組を目撃したことからだった。
(2019年5月17日 NEWSミント放送分)
宝暦4年(1754年)、当寺の潭住知忍禅師が修行中に南紀太地浦(捕鯨で有名)を訪れた時、不漁に泣く村長覚右衛門らの豊漁祈願の依頼をうけた。知忍禅師は殺生が五戒の一つであるところから容易に承知しなかったが、村人の苦しむ姿に胸がいたみ、1度だけ協力することにした。そして祈りが通じたのか、鯨を獲ることができた村人たち。
しかし、海が鯨の血で真っ赤に染まっていく光景を見ていた知忍禅師は、鯨を殺す手助けをしてしまった事を後悔する。
その後、お礼として村人から贈られた黄金30両と鯨骨18本を使って
鯨の冥福と全ての生き物を大切にするという祈りを込めて、くじらの橋を作ったのです。

境内には、橋だけでなく、くじらの骨が沢山残されていて胸が痛む。

そんな知忍禅師の想いが込められた、くじら橋。
しかしその後、古くなる度に太地町の協力で建て替えられているという。


太地町がくじらの骨を運んでこなくなることが、知忍禅師の願い、残したメッセージであろうに。
利権のために捕鯨からしつこく手を引こうとしない今の有り様を知忍禅師はあの世からどのような想いで見つめているだろうか。


人間が奪ってしまったクジラ達の命。その屍に、ひとつづつ手をかけ謝罪した。



ここにもう2度と、クジラの骨が運ばれてこないよう、どうか捕鯨に終止符が打たれてほしい。
この場所、知忍禅師の存在が、そんな現実を引き寄せる力として生き続けてほしい。




東淀川区がこのお話を絵本にして残してくれているというのはとても貴重だと思う。
知忍禅師のこの尊い想いがこの日本に、世界中に永遠に語り継がれていくよう、伝え広めてください。
瑞光寺のくじら橋
~瑞光寺にまつわる昔のお話です~
読み聞かせ用の音声データも掲載しています。
https://www.city.osaka.lg.jp/higashiyodogawa/page/0000489371.html

表紙

むかし 東淀川区(ひがしよどがわく)が 摂津(せっつ)の国とよばれていた 江戸時代のお話です
瑞光寺(ずいこうじ)の 潭住知忍(たんじゅうちにん)という えらいお坊さまが 修行のため 旅をしていました

あるとき くじら漁が盛んな 紀伊(きい)の国の 太地浦(たいじうら)(和歌山県太地町(わかやまけんたいじちょう))を とおりかかりました
そのころ 村ではくじらがとれず 飢えに苦しんでいました

村長の覚右衛門(かくうえもん)と 網本(あみもと)の次右衛門(じうえもん)は えらいお坊さまが訪れたのを知り 涙ながらにお願いしました
「ここ 百数日 くじらが まったく獲れません」
「このままでは みんなが 飢え死にしてしまいます」
「どうぞ 和尚様 豊漁のお祈りを してください」
「お二人のお気持ちは よくわかりました しかし 仏の道には 生き物を殺すことを 禁じる教えがあります 私には 祈りを あげることはできません」
と 断りました

しかし ふたりは 何度も何度も お願いしました
知忍禅師(ちにんぜんじ)は 村の人々の 苦しむすがたを見て ついに決心しました
「わかりました 一度だけやってみましょう」

みさきの先に 小屋をたて そこにこもって お祈りは続きました
雨のふる日も 風のふく日も 休むことなく 祈りつづけました
そうして 十五日たった 朝・・・

風がやみ 波が静まり 雲のすき間から 朝日がさしたとき・・・
水平線が 黒く変わり その黒のかたまりが 津波のように 湾をめざして 進んできます
「くじらだ!!」
「船を出せ!!」
村びとたちは よろこびいさんで 船を出しました

そして くじらを湾の奥に追い込み 浜に上げ つぎつぎと解体していきます
浜は くじらの血で 真っ赤に染まりました
太地浦(たいじうら)は 村人たちの大漁歌(たいりょうか)で わきあがりました。
知忍禅師(ちにんぜんじ)は みさきからぼう然と その有様をみつめていました

「なんということを してしまったのだろう」
村人のためとはいえ 生き物を殺す手助けをしてしまった 自分を責め こっそり 瑞光寺(ずいこうじ)に帰り お堂にこもって お経を あげ続けました

「和尚様に お礼をせねば」
覚右衛門(かくうえもん)たちは 瑞光寺(ずいこうじ)をたずね そして 無理やり 黄金三十両と くじらの骨十八本を 置いて帰りました

知忍禅師(ちにんぜんじ)は くじらのめい福と すべての生き物の命を 大切にするという祈りをこめて 境内の「弘済池(こうさいち)」に くじらの骨を使って くじら橋(雪鯨橋(せつげいきょう))を 造りました
くじら橋は 古くなるたびに 太地町(たいじちょう)の協力で架け替えられ 今でも 瑞光寺(ずいこうじ)に残っています

瑞光寺と雪鯨橋について

スポンサーサイト