- SHARE
- TWEET
- EDIT
- CATEGORY未分類
中国「食肉処理場から聞こえる泣き声」 #屠殺場レポート
食肉処理場から聞こえる泣き声
先日投稿したVEGAN店「台湾素食Ren」で見つけたこの冊子で語られていた屠殺場レポートの様子。
http://animalliberation.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
日本の屠殺場レポートについてはご存じの方も多いかと思いますが、
中国方面の屠殺場レポートについて知る機会は中々ありません。
冊子より転載させて頂きます。


**************************************************************************
食肉処理場から聞こえる泣き声
屠殺場は、「動物を肉に加工する所」だと世間に思われがちですが
それは生きているものに対して、地獄だといっても過言ではないほど非常に恐ろしい場所です。
屠殺場の状況について、記者の韓世子は、ある機会に屠殺場の見学許可を取り、その体験談を以下のように述べました。
この建物に入った時は、スペースはかなり広いものだと思っていた。
玄関に入れば、中に高い天井があり、左側には幾つか豚を殺す作業部屋があった。
その右側は、羊で、右の手前側は牛をサバク所である。
昼間の作業は、黄牛、夜は水牛と豚だという。
私が着いた頃は、ちょうど豚が運ばれてきたところだった。
その豚たちは、聞くに堪えない程、凄まじい鳴き声を上げながら檻の中に入れられた。
無惨なものだった。
その日の天気はちょうど曇りでした。
そのせいで、背中からゾッとする寒さを感じた。
右の方向を見渡すと、床には血まみれの羊の頭や内臓がばらまかれていた。
驚いて天井の方へと顔を向けて少し休み、気を取り直してから羊を処分する部屋に身を運んだ。
部屋に入ると、そこに羊の血が入っている桶が数多く置かれてあり、
その血から不思議ながらも微かな温もりが感じられた。
頭のない羊たちは、桶の縁に立たされて血に浸っていた。
また、何匹か頭のない羊は屠殺人に皮を剥がされいた。
私は、過酷な光景を目の前にして、恐怖を必死に抑えながら、生々しい血の道と、
羊の頭と内臓だらけの床を通って、牛の屠殺現場へ向かった。
牛の作業場に入ると、そこには、二、三十人の屠殺人がいた。
彼らは一人一人手に、刃先が鋭く研がされた1mの長刀を持ち、血まみれの空間で仕事をしていた。
床には、三、四人が力を合わせて牛の皮を剥いだり、牛の胸を切り開いたりして、臓器を切り取り、
肋骨、ネックを鋸で引き斬っていました。
まだ生きている三匹の牛は、檻の中で全ての光景を目撃し、ただ涙を流しながら、
同類の無残な姿を見ることしか、何もできなかった。
檻の中に入れられた牛は両足が震えていて、倒れそうになっていた。
恐怖に襲われて慌てる牛たちの表情は、私がこの世で見た一番惨めな顔だった。
それから間もなく、屠殺人が檻の中に入ってきて、一匹の牛を広い場所へ連れていき、
二、三人で一緒に牛の頭を上げて、ドーンと鉄鎚を牛の額に落とした。
それと同時に、牛は気を失って倒れ、鋭い刀が心臓へとグイグイ二、三回刺された牛は、
血が噴出し始めてきた。
その血は何と二、三桶程あり、量はかなり多いものであった。
血を抜かれた牛は、足を痙攣させながら、目を大きく開いて、口で何かを言うように私を見ていた。
そして、部屋にもう1人の屠殺人がきて、刀で牛の胸を切り開き、
腸や内臓などをゴミのように血だらけの床に取り捨てていた。
まだ息が残っている牛を捌こうと鋸と斧を使って、
牛の内臓を取り、次に頭、足を奪い、段々と私の目の前で解体されていった。
それに次いで、もう一匹の牛が恐怖の目で涙を流しながらこの解体部屋に連れてこられた。
それを見た私は、悲しい気持ちがこみ上げるのを抑えきれず
降り返る勇気もなく、この部屋から飛び出した。
見学後、屠殺場で見た残酷な情景は忘れることなく、
寝る時も未だに夢の中から出てきて、その度に驚いて起きてしまいます。
私は思うのです。人類の文明はどのような基礎から建てて、築き上げられたのか?
食べる為なのか?
しかし、生き物の肉を食べようとする我々は仁義に欠ける残忍な行為を行っています。
その行為を温順な動物たちに振るまうのは、文明的な人間がなすべきことなのか?を
考え直すべきことだと私は思います。
~転載終了~

先日投稿したVEGAN店「台湾素食Ren」で見つけたこの冊子で語られていた屠殺場レポートの様子。
http://animalliberation.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
日本の屠殺場レポートについてはご存じの方も多いかと思いますが、
中国方面の屠殺場レポートについて知る機会は中々ありません。
冊子より転載させて頂きます。


**************************************************************************
食肉処理場から聞こえる泣き声
屠殺場は、「動物を肉に加工する所」だと世間に思われがちですが
それは生きているものに対して、地獄だといっても過言ではないほど非常に恐ろしい場所です。
屠殺場の状況について、記者の韓世子は、ある機会に屠殺場の見学許可を取り、その体験談を以下のように述べました。
この建物に入った時は、スペースはかなり広いものだと思っていた。
玄関に入れば、中に高い天井があり、左側には幾つか豚を殺す作業部屋があった。
その右側は、羊で、右の手前側は牛をサバク所である。
昼間の作業は、黄牛、夜は水牛と豚だという。
私が着いた頃は、ちょうど豚が運ばれてきたところだった。
その豚たちは、聞くに堪えない程、凄まじい鳴き声を上げながら檻の中に入れられた。
無惨なものだった。
その日の天気はちょうど曇りでした。
そのせいで、背中からゾッとする寒さを感じた。
右の方向を見渡すと、床には血まみれの羊の頭や内臓がばらまかれていた。
驚いて天井の方へと顔を向けて少し休み、気を取り直してから羊を処分する部屋に身を運んだ。
部屋に入ると、そこに羊の血が入っている桶が数多く置かれてあり、
その血から不思議ながらも微かな温もりが感じられた。
頭のない羊たちは、桶の縁に立たされて血に浸っていた。
また、何匹か頭のない羊は屠殺人に皮を剥がされいた。
私は、過酷な光景を目の前にして、恐怖を必死に抑えながら、生々しい血の道と、
羊の頭と内臓だらけの床を通って、牛の屠殺現場へ向かった。
牛の作業場に入ると、そこには、二、三十人の屠殺人がいた。
彼らは一人一人手に、刃先が鋭く研がされた1mの長刀を持ち、血まみれの空間で仕事をしていた。
床には、三、四人が力を合わせて牛の皮を剥いだり、牛の胸を切り開いたりして、臓器を切り取り、
肋骨、ネックを鋸で引き斬っていました。
まだ生きている三匹の牛は、檻の中で全ての光景を目撃し、ただ涙を流しながら、
同類の無残な姿を見ることしか、何もできなかった。
檻の中に入れられた牛は両足が震えていて、倒れそうになっていた。
恐怖に襲われて慌てる牛たちの表情は、私がこの世で見た一番惨めな顔だった。
それから間もなく、屠殺人が檻の中に入ってきて、一匹の牛を広い場所へ連れていき、
二、三人で一緒に牛の頭を上げて、ドーンと鉄鎚を牛の額に落とした。
それと同時に、牛は気を失って倒れ、鋭い刀が心臓へとグイグイ二、三回刺された牛は、
血が噴出し始めてきた。
その血は何と二、三桶程あり、量はかなり多いものであった。
血を抜かれた牛は、足を痙攣させながら、目を大きく開いて、口で何かを言うように私を見ていた。
そして、部屋にもう1人の屠殺人がきて、刀で牛の胸を切り開き、
腸や内臓などをゴミのように血だらけの床に取り捨てていた。
まだ息が残っている牛を捌こうと鋸と斧を使って、
牛の内臓を取り、次に頭、足を奪い、段々と私の目の前で解体されていった。
それに次いで、もう一匹の牛が恐怖の目で涙を流しながらこの解体部屋に連れてこられた。
それを見た私は、悲しい気持ちがこみ上げるのを抑えきれず
降り返る勇気もなく、この部屋から飛び出した。
見学後、屠殺場で見た残酷な情景は忘れることなく、
寝る時も未だに夢の中から出てきて、その度に驚いて起きてしまいます。
私は思うのです。人類の文明はどのような基礎から建てて、築き上げられたのか?
食べる為なのか?
しかし、生き物の肉を食べようとする我々は仁義に欠ける残忍な行為を行っています。
その行為を温順な動物たちに振るまうのは、文明的な人間がなすべきことなのか?を
考え直すべきことだと私は思います。
~転載終了~

スポンサーサイト